Siciliaの花by ITALIA-UNO
デ・シモーネの魅力

父はいつも私たちに古代ギリシャ人の物語を語ってくれました。彼らがシチリアに植民地建設に来ていた事、新しい共同体(イタリア人とギリシャ人の)に必要である全ての生活雑貨を作る為の熟練した陶芸家をいつも伴って来ていた事など。 そして父は、この古代ギリシャ人が自分のルーツで有ると信じていました。 彼らから受け継いだ仕事への愛と情熱が、新しい形と新しいデザインを創り出し又、はるか昔の源にヒントを得ていると・・・、  この同じ愛と情熱は私と私の姉妹にも伝統として引き継がれ 今では、私たち家族の一部となり 更に3代目陶芸家の育成の時を迎えました。 私たちのデザイン、私たちの色、有名な真似の出来ない DE SIMONE の“赤”。 これらは、世界中に知られ、愛され、 NEW YORKのロックフェラーセンターに、FAENZAの陶芸美術館にと 高名なイタリア内外の公的、私的コレクションに加えられています。  DE SIMONEのスタイルは、鉛を入れない特殊な色によって手で描かれています。 陽気とファンタジーで個性的な魅力をあなたに、 そして、贈った人に与えてくれるのです。 家に置かれる事によってかもし出された雰囲気は、更に味を増してゆきます。                              =スザンナ デ シモーネ=
              

Giovanni De Desimone (ジョバンニ・デ・シモ-ネ)は、1930年10月28日にパレルモに生まれました。1951年にプロとして活動を始めて間もなく、 New York のロックフェラー財団、 パレルモのロータリークラブなど様々な団体から毎年の様に数々の賞を受賞し。(ちなみにこの年は、黒澤明監督の「羅生門」がベネツイア國際映画祭で日本初のグランプリ「金獅子賞」を受賞しています。) 彼の多才振りは、陶製品に限らず絵画、彫像、装飾などあらゆる分野に及びました。 たとえば、パレルモに有るサン・ ミケーレ・アルカンジェロの教会の装飾、アレッサンドラとトゥーリンのカラビニエレ(国家の特殊警察)大学の為のパネル、ウスティカ教会の陶板、彫像。その他彼の作品は、New Yorkのロックフェラー美術館、コネチカット州立美術館、ファエンツャ美術館、チェルビア美術館、パレルモ近代美術館 そして、バゲリアのカトリッカ ヴィラ等に展示されています。 彼の作品は、イタリアのみならず世界各国で、公の場でも、個人のコレクションとしても今なお多くのファンを魅了し続けています。 そして、1991年3月23日60歳で、この世を去りました。三女のマルゲリータ (父親の仕事を受け継いでいる)は、この様に語っていました.「頑固な気難しい父親でした。でも、お葬式には驚くほど多くの人が参列してくれ、特に若い人が沢山来てくれたのには、驚きました。」作品と同じく Giovanni は、多くの人々に愛されていたのです。

DE SIMONEについて

Giovanni の作品は、多くの民族の殖民地となったSichiliaの歴史に基ずいた物であり、その中でも特にマグナ・グレキア(大ギリシャ)と呼ばれた、ギリシャの植民地時代の物語をそしてギリシャ様式を好んで描いていました。 しっかりした線、鮮やかな色彩のハーモニー、によって見る者の気持ちを癒し元気付けてくれる不思議な力を感じます。 作品から醸し出される温かみは、オーラの様に辺りの空気を包み込んでくれるのです。 彼の作品は媚びる事無く真正面から私達大人の幼心を呼び覚ましてくれる− 昔、私達が何処かに置き忘れて来たあの時のあの気持ちを・・。 

作品について

デ・シモーネの手記より

ジョバンニ・デ・シモーネは、1930年10月28日にパレルモに生まれました。 ご両親がかなり仲が良かった事を後に記述しています。 この事が、彼の作風のあたたかみの基盤となっているのでしょう。 父親はオリベッティーに勤め、パレルモの下町に庭付きの家を構えていました。ジョバンニは、子どもの頃 何時間も窓から道行く人々を眺めるのが常だったそうです。  或る日、姉の肖像画を描きに来ていた 著名な肖像画家であったグレゴレッティは、制作中に自分のアルバムに描かれたジョバンニの絵に目を留めます。彼は、ジョバンニに絵の指導を申し出るのでした。 これが、彼が絵にのめり込むきっかけとなったのです。当時ジョバンニ5歳の時の事です。 しかし、その頃イタリアは、エチオピアに宣戦布告し、父は戦地へ赴くことになります。 ジョバンニは、母親が調達してくれていた絵の具を使い夢中になって絵を描いていたのです。描く為の紙が無くなると 指で空中に想像で透写していたそうです。 後に母親によると、アフリカから届いた父親の手紙に、ライオン、キリン、サイそして、エチオピアの兵士の絵が紙一杯に描かれていたそうです。                            3年後、父親は帰国したのですが、父親の希望で一家でアフリカに赴く事になります。アフリカには、イタリア兵としての高い地位とバナナの木で囲まれた美し家が有ったそうです。一家の到着した午後に、熱狂的なアフリカ音楽やダンスでの盛大なパーティーが父親の部隊で開かれ、彼はその時 地方芸術に魅了され、さらに情熱をもって描きつづける事になったのです。